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发布时间:2021-03-10 16:06:01

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作者:夏目漱石

出版社:华东理工大学出版社

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日本文学名作系列:心(日文版)

日本文学名作系列:心(日文版)试读:

※版权信息※书名:日本文学名作系列:心(日文版)作者:夏目漱石排版:skip出版社:华东理工大学出版社出版时间:2018-05-23ISBN:9787893902642本书由华东理工大学出版社有限公司授权北京当当科文电子商务有限公司制作与发行。— · 版权所有 侵权必究 · —上 先生と私一

わたくしひとつねせんせいよ私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもたせんせいかほんみょううあせけんはばだ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚

えんりょほうわたくししぜんかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからであ

わたくしひときおくよおこせんせいる。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」とふでとこころもちおなこといいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそ

かしらもじつかきしい頭文字などはとても使う気にならない。

わたくしせんせいしあかまくら私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。そのときわたしわかわかしょせいしょちゅうきゅうかりよう時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用しかいすいよくいともだちこはがきうとて海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったわたくしたしょうかねくめんでかことので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。わたくしかねくめんにさんちついわたくしかま私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が鎌くらつみっかたわたくしよよともだち倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達

きゅうくにもとかえでんぽううとでんぽうは、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報にはははびょうきことわともだちしん母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じともだちくにもとおやすすけっなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結こんしかれげんだいしゅうかんけっこん婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するどしわかすかんじんとうにんきいにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らななつやすとうぜんかえさかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けてとうきょうちかあそかれでんぽうわたくしみ東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せそうだんわたくしわかてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなじっさいかれははびょうきかれもとかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固

かえかれかえことより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になっきわたくしひとりとのこた。せっかく来た私は一人取り残された。

がっこうじゅぎょうはじだいぶひかずかま学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので鎌くらかえきょうぐうわたくし倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、とうぶんもとやどとかくごともだちちゅうごくしさん当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は中国のある資産かむすこかねふじゆうおとこがっこう家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校ががっこうとしとしせいかつていどわたくしかわ学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもひとりわたくしべつかっこうしなかった。したがって一人ぼっちになった私は別に恰好なやどさがめんどう宿を探す面倒ももたなかったのである。

やどかまくらへんぴほうがくたまつ宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクながなわてひとこリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなけれてとどくるまいにじゅうせんとば手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれこじんべっそうたども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それうみちかかいすいよくしごくべんりちいに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位をし占めていた。

わたくしまいにちうみでかふるくすかえわら私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻ぶり返った藁ぶきあいだとおぬいそおへんとかい葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会じんしゅすおもひしょきおとこおんなすな人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂のうえうごときうみなかせんとうくろあたま上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でことなかしひとひとりごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人もわたしにぎけしきなかつつすなもたない私も、こういう賑やかな景色の中に裹まれて、砂のうえねひざがしらなみうは上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳はねまわゆかい廻るのは愉快であった。

わたくしじつせんせいざっとうあいだみつだ私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのであときかいがんかけぢゃやにけんわたくしる。その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとしたはずみいっけんほういなはせへんおお機会からその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺に大きなべっそうかまひとちがめいめいせんゆうきがえばこしら別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵ひしょきゃくきょうどうえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同きがえしょふうひつようかれ着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここでちゃのきゅうそくほかかいすいぎせんたく茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させしおからだきよぼうしかさあずたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預かいすいぎもわたくしにもつぬすけたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗ま

おそわたくしうみちゃやいっれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一さいぬすこと切を脱ぎ棄すてる事にしていた。二

わたくしかけぢゃやせんせいみときせんせい私がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうきものぬうみはいど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。わたくしときはんたいぬからだかぜふみずあ私はその時反対に濡れた身体を風に吹かして水から上きふたりあいだめさえぎいくたくろあたまうごがって来た。二人の間には目を遮る幾多の黒い頭が動いとくべつじじょうかぎわたくしせんせいみのがていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃しはまべこんざつわたくししたかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私あたまほうまんわたくしせんせいみの頭が放漫であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見つだせんせいひとりせいようじんつ付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。せいようじんすぐしろひふいろかけぢゃやはい

 その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るいなわたくしちゅういひじゅんすいにほんや否いなや、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴ゆかたきかれしょうぎうえほうだ衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したま

うでぐうみほうむたかれわれわれはま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿くさるまたひとほかなにものはだつわたくし猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。私にはそれだいいちふしぎわたくしふつかまえゆいはまが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜までいすなうえながあいだせいようじんうみはい行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入ようすながわたくししりところすここだかる様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高いおかうえわきうらぐち丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、わたくしじっあいだだいぶおおおとこしおあで私の凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出てきどううでももだおんなことさら来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更にくかくたいていあたまゴムせいずきんかぶ肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、えびちゃこんあいいろなみまうありさま海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様をもくげきわたくしめさるまたひとすみん目撃したばかりの私の眼めには、猿股一つで済まして皆なまえたせいようじんめずらみの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

かれじぶんわきかえりにほん彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本じんひとことふたことなににほんじんすなうえお人に、一言二言何かいった。その日本人は砂の上に落ちたてぬぐいひろあとあ手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるやいなあたまつつうみほうあるだひと否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなせんせいわち先生であった。

わたくしたんこうきしんならはまべおいふた私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二りうしろすがたみまもかれまっすぐなみなか人の後姿を見守っていた。すると彼らは真直に波の中にあしふことおあさいそちかさわ足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいるたにんずうあいだとおぬひかくてきひろびろところく多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、ふたりおよだかれあたまちいみおきほう二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へむいびかえいっちょくせんはまべ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺までもどきかけぢゃやかえいどみずあ戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身からだふきものきい体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。

かれでいあとわたくしもとしょうぎこし彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろタバコふときわたくしせんして烟草を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先せいことかんがみことかおおも生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思あひとおもわれてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想だい出せずにしまった。ときわたくしくったくぶりょうくる

 その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦あくるひせんせいあじこくみはかしんでいた。それで翌日もまた先生に会った時刻を見計かけぢゃやでせいようじんらって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。すると西洋人はこせんせいひとりむぎわらぼうかぶきせんせい来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来た。先生は眼めがねだいうえおてぬぐいあたまつつ鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すた

はまおいせんせいきのうさわよっきゃくすた浜を下りて行った。先生が昨日のように騒がしい浴客なかとおぬひとりおよだときわたくしきゅうの中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にそのあとおかわたくしあさみずあたまうえはね後が追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳かし

そうとうふかところきせんせいめじるしぬきでて相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標に抜手きせんせいきのうちがいっしゅこせんえがを切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線を描い

みょうほうこうきしほうかえはじわたくしもくてきて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的たっわたくしおかあしずくたてはついに達せられなかった。私が陸へ上がって雫の垂れる手ふかけぢゃやはいせんせいきものきを振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着いちがそとでいて入れ違いに外へ出て行った。三

 

わたくしつぎひおなじこくはまいせんせいかおみ私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。

つぎひおなことくかえものかその次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛きかいあいさつばあいふたりあいだおこける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかっうえせんせいたいどひしゃこうてきいっていた。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定のじこくちょうぜんきちょうぜんかえいしゅうい時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲にぎちゅういはらようすみがいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見さいしょきせいようじんごすがたえなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後ごまるで姿みせんせいひとりを見せなかった。先生はいつでも一人であった。

あるときせんせいれいとおうみあき或時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつばしょぬすゆかたきわけもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、ゆかたすなつせんせいおとその浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すため

うしむゆかたにさんどふるきものに、後ろ向きになって、浴衣を二、三度振った。すると着物したおめがねいたすきましたおせんせいの下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。先生はしろがすりうえへこおびしめがねなき白絣の上へ兵児帯を締めてから、眼鏡の失くなったのに気つみきゅうさがはじわたくしが付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐこしかけしたくびてつっこめがねひろだせんせい腰掛の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生ありがとわたくしてうとは有難うといって、それを私の手から受け取った。

つぎひわたくしせんせいあとうみとこ次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そう

せんせいほうがくおよいにちょうおきして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ほど沖へでせんせいうしふかえわたくしはなかひろあお出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼うみひょうめんうきんじょわたしふたりい海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人よりほかつよたいようひかりめとどかぎみず外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水とやまてわたくしじゆうかんきみちきんにくうご山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充た筋肉を動かしうみなかおどくるせんせいてあしうんどうやて海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已

あおむなみうえねわたくしまねめて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。あおぞらいろめいつうれついろわたくしかお青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔になつゆかいわたくしおおこえだ投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。うみなかおあしせいあらたせん

しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先せいかえわたくしうながひかくてき生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的つよたいしつわたくしうみなかあそ強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかっせんせいさそときわたくしかえた。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りまこころよこたふたりもとみちはまべしょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路を浜辺ひかえへ引き返した。

わたくしせんせいこんいせんせい私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこしにいるかはまだ知らなかった。なかふつかみっかめごごおも

それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思

せんせいかけぢゃやであときせんせいとつぜんわたくしむう。先生と掛茶屋で出会った時、先生は突然私に向きみだいぶながきかって、「君はまだ大分長くここにいるつもりですか」と聞い

かんがわたくしとこたよういた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意をあたまなかたくわわか頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」こたわらせんせいかおみときわたしと答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私きゅうきまわるせんせいきかえは急に極りが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいらわたくしくちでせんせいことばはじれなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。

わたくしばんせんせいやどたずやどふつう私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通のりょかんちがひろてらけいだいべっそうたてもの旅館と違って、広い寺の境内にある別荘のような建物ですひとせんせいかぞくことわかあった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解った。わたくしせんせいせんせいよかせんせいにがわら私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。わたくしねんちょうしゃたいわたくしくちぐせべんかい私はそれが年長者に対する私の口癖だといって弁解わたしあいだせいようじんこときせんせいかれした。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼ふうがわかまくらこといろいろはなしの風変りのところや、もう鎌倉にいない事や、色々の話を

すえにほんじんつきあいした末、日本人にさえあまり交際をもたないのに、そういうがいこくじんちかづきふしぎわたくし外国人と近付になったのは不思議だといったりした。私はさいごせんせいむせんせいみおも最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれおもだわかわたくしときあんども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗あいてわたくしおなかんもうたがに相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑っはらなかせんせいへんじよきた。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところせんせいちんぎんきみかおみおぼが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えひとちがわたくしがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私はへんいっしゅしつぼうかん変に一種の失望を感じた。四

わたくしつきすえとうきょうかえせんせいひしょちひ私は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引きあまえわたくしせんせいわか上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れるときおりおりたくうかがよき時に、「これから折々お宅へ伺っても宜ござんすか」と聞い

せんせいたんかんた。先生は単簡にただ「ええいらっしゃい」といっただけでじぶんわたくしせんせいこんいあった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりせんせいすここまやことばよきかかでいたので、先生からもう少し濃かな言葉を予期して掛ったものたへんじすこわたくしじしんいたのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷めた。

わたくしことせんせいしつぼうせんせい私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生きつまったきつはそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないよわたくしけいびしつぼうくかえうでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それせんせいはないきがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとはんたいふあんうごまえすすは反対で、不安に揺かされるたびに、もっと前へ進みたくなっまえすすわたしよきめた。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼のまえまんぞくあらくおもわたくしわか前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。にんげんたいわかちすなおはたらけれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こう

おもわたくしせんせいたいこころとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心もちおこわかせんせいなこんにち持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日にはじわかきせんせいはじわたくしきらなって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていせんせいわたくししめときどきそっけたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気

あいさつれいたんみどうさわたくしとおふない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不かいひょうげんいたせんせいじぶん快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分にちかにんげんちかかちよ近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止けいこくあたひとなつおうせんせという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先せいひとけいべつまえじぶんけいべつ生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

わたくしむろんせんせいたずとうきょうかえき私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。かえじゅぎょうはじにしゅうかんひかず帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるいちどいおもかえふつので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二かみっかたかまくらとききぶんだんだんうす日三日と経つうちに、鎌倉にいた時の気分が段々薄くなっきうえいろどだいとかいくうききおくて来た。そうしてその上に彩られる大都会の空気が、記憶ふっかつともなつよしげきともこわたしこころそつの復活に伴う強い刺戟と共に、濃く私の心を染め付け

わたしおうらいがくせいかおみあたらがくねんたいた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対すきぼうきんちょうかんわたしせんせいことわする希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。

じゅぎょうはじいっかげつわたしこころ授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、まいっしゅたるわたくしなんふそくかおおうた一種の弛みができてきた。私は何だか不足な顔をして往らいあるはじものほじぶんへやなかみまわ来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室の中を見廻した。わたくしあたまふたたせんせいかおうでわたくしせん私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先せいあ生に会いたくなった。

はじせんせいうちたずときせんせいるすにど始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であった。二度めいつぎにちようおぼはそらみし目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁みこかんいひよりひせんせいるす込むように感ぜられる好い日和であった。その日も先生は留守かまくらときわたしせんせいじしんくちであった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでたいていうちこときがいしゅつぎらも大抵宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだといこときにどきにどあわたしことう事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言ばおもだわけふまんかんわたくし葉を思い出して、理由もない不満をどこかに感じた。私はすげんかんさきさげじょかおみすこちゅうちょぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそたまえめいしとつきおくげじょこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、わたくしまうちおく私を待たしておいてまた内へはいった。すると奥さんらしいひとかわできうつくおく人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

わたくしひとていねいせんせいでさきおしせん私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。先せいれいげつひぞうしやぼちあほとけはな生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花をたむいしゅうかんいまで手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかり

じゅっぷんおくきで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気のどくわたしえしゃくそとでにぎやまち毒そうにいってくれた。私は会釈して外へ出た。賑かな町ほういっちょうあるわたしさんぽぞうしやいの方へ一丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってきせんせいああこうきしんうごみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動きびすめぐいた。それですぐ踵を回らした。

 五

 

わたくしぼちてまえなえばたけひだりがわ私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、りょうほうかえでうつひろみちおくほうすすい両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。すはずみちゃみせなかせんせいひとでるとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出きわたくしひとめがねふちひひかちかよて来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄っていだぬせんせいおおこえかせん行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先せい生は

とつぜんたどわたしかおみ突然立ち留まって私の顔を見た。

「どうして……、どうして……」

せんせいおなことばにへんくかえことばしんかん先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑と

ひるうちいようちょうしくかえわたくしきゅうした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急なんこたに何とも応えられなくなった。わたくしあとつき

「私の後を跟けて来たのですか。どうして……」

せんせいたいどおつこえしず先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいひょうじょううちはっきりいっしゅた。けれどもその表情の中には判然いえないような一種のくも曇りがあった。

わたくしわたくしきせんせいはな私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。だれはかまいいさいひとな

「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」はじ

「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始あひつようめて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

せんせいとくしんようす先生はようやく得心したらしい様子であった。しかしわたくしいみわか私にはその意味がまるで解らなかった。

せんせいわたくしとおではかあいだぬイサ先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒ベラなになにはかしんぼくはかかたわらいっ伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一さいしゅじょうしつうぶっしょうかとうばたぜん切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全けんこうしなになにわたしあんとくれつほりつちい権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫付けた小

はかまえなんよせんせいきさい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。よせんせいく「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦しょう笑した。

せんせいぼひょうあらひとさまざまようしきたい先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対し

わたくしこっけいみとて、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。わたくしまるはかいしほそながみかげひさ私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにはじだまきかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、ししじじつまじめかんがことまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事があわたくしだませんせいなんりませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。ぼちくぎめおおいちょういっぽんそらかく

墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すようにたしたきときせんせいたかこずえみあ立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もすこきれいきこうようう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここじめんきんいろおちばうずいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。せんせいつきいちどかならきしたとお先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。

むこほうでこぼこじめんしんぼちつく向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っているおとこくわてやすわたしみわたし男が、鍬の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこかひだりきかいどうでら左へ切れてすぐ街道へ出た。いあてわたくしせんせい

これからどこへ行くという目的のない私は、ただ先生のあるほうあるいせんせいくちかずき歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利きかなわたくしきゅうくつかんかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、あるいぶらぶらいっしょに歩いて行った。たくかえ

「すぐお宅へお帰りですか」べつよところ

「ええ別に寄る所もありませんから」

ふたりだまみなみほうさかお二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。せんせいたくぼちわたくし

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまくちきだた口を利き出した。

「いいえ」はかるいはかしん

「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」

「いいえ」

せんせいいがいなにこたわたくしはなし先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はきあいっちょうあるあとせんそれぎりにして切り上げた。すると一町ほど歩いた後で、先せいふいもどき生が不意にそこへ戻って来た。わたくしだちはかとも

「あすこには私の友達の墓があるんです」ともだちはかまいげつまい

「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」

「そうです」

せんせいひいがいかた先生はその日これ以外を語らなかった。六

わたくしときどきせんせいほうもんい私はそれから時々先生を訪問するようになった。行せんせいざいたくせんせいあどすうかさくたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつわたくししげせんせいげんかんあしはこれて、私はますます繁く先生の玄関へ足を運んだ。せんせいわたくしたいたいどはじあいさつ

けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をしたときこんいのちかわせんせい時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。先生はいつしずときしずすさび何時も静かであった。ある時は静か過ぎて淋しいくらいであっ

わたくしさいしょせんせいちかふしぎた。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるようおもちかに思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられなかんつよはたらかんせんせいいという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生たいおおひとわたくしに対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だしわたくしちょっかんのちけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後にじじつうえしょうこだわたくしわかわかなって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しばかわらみこじいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自ぶんちょっかくたのうれおもにんげん分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間あいうひとあいひとじぶんを愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分のふところはいてだしこと懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のでき

ひとせんせいない人、――これが先生であった。

いまとおせんせいしじゅうしずおつ今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。ときへんくもかおよこぎことまどけれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓くろちょうえいささおもききに黒い鳥影が射すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消わたくしはじくもせんせいみけんみとえたが。私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは、ぞうしやぼちふいせんせいよかとき雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。わたくしいようしゅんかんいまこころよながしんぞう私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓ちょうりゅうにぶたんいちじけったいの潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞すわたくしこころごぷんたへいそだんに過ぎなかった。私の心は五分と経たないうちに平素の弾りょくかいふくわたくしくらくもかげわす力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れおもだこはるてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春つまあるばんことの尽きるに間のない或晩の事であった。

せんせいはなわたしせんせいちゅうい先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意していちょうたいじゅめまえおもうかんじょうくれた銀杏の大樹を眼の前に想い浮かべた。勘定してみる

せんせいまいげつれいぼさんいひと、先生が毎月例として墓参に行く日が、それからちょうどみっかめあたみっかめわたしかぎょうひるお三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午で終えるらくひわたくしせんせいむ楽な日であった。私は先生に向かってこういった。せんせいぞうしやいちょうち

「先生雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」からぼうず

「まだ空坊主にはならないでしょう」

せんせいこたわたくしかおみまも先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそめはなわたくしこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。

こんどはかまいりときともよ今度お墓参にいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんす

わたくしせんせいさんぽか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」わたくしはかまいゆさんぽい

「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」さんぽい

「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」

せんせいなんこたわたくし先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のほんとうはかまいぼさんは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参とさんぽきはなふうみわたくしいこう散歩を切り離そうとする風に見えた。私と行きたくない口じつなんわたしときせんせいこども実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくへんおもわたくしさきできて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。はかまいいついくだ

「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さ

わたくしはかまいい。私もお墓参りをしますから」

じっさいわたくしぼさんさんぽくべつむいみ実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のおもせんせいまゆくもように思われたのである。すると先生の眉がちょっと曇った。めいようひかりでめいわくけんおいふ眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖

かたづかすふあんわたくしとも片付けられない微かな不安らしいものであった。私はたちまぞうしやせんせいよかとききおくつよおも忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思いおこふたひょうじょうまったおな起した。二つの表情は全く同じだったのである。

わたくしせんせいわたくしはなこと私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできりゆうひとはかまいいないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行じぶんさいついこときたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」

 七

わたくしふしぎおもわたくしせんせいけんきゅう私は不思議に思った。しかし私は先生を研究するきうちでいわたくし気でその宅へ出入りをするのではなかった。私はただそのままうすいまかんがときわたくしたいどにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、わたくしせいかつたっとひと私の生活のうちでむしろ尊むべきものの一つであった。わたくしまったせんせいにんげんあたたつきあい私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際がでおもわたくしこうきしんいくぶんせんせいこころきたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心むけんきゅうてきはたらかふたりあいだつなぎに向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐどうじょういとなんようしゃときき同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったわかわたくしまったじぶんたいどじかくろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。たっとしまちがうらでそれだから尊いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしけっかふたりなかおきわたくしそうぞうたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像せんせいつめまなこけんしてもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研きゅうたおそ究されるのを絶えず恐れていたのである。

わたくしつきにどさんどかならせんせいうちい私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅へ行くわたくしあしだんだんしげときひせんせいようになった。私の足が段々繁くなった時のある日、先生とつぜんわたくしむきは突然私に向かって聞いた。なんわたくしうち

「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやっくて来るのですか」なんとくべついみ

「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかじゃましお邪魔なんですか」じゃま

「邪魔だとはいいません」めいわくようすせんせいみ

なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。わたくしせんせいこうさいはんいきわせまことしせん私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。先せいもとどうきゅうせいころとうきょう生の元の同級生などで、その頃東京にいるものはほとんふたりさんにんことしせんせいどうきょうど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷がくせいときざしきどうざばあいかれの学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らみんわたくしせんせいしたのいずれもは皆な私ほど先生に親しみをもっていないようにみう見受けられた。

わたくしさびにんげんせんせい私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなきくだことよろこくたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来きるのかといって聞いたのです」

「そりゃまたなぜです」

わたくしきかえときせんせいなんこた私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。

わたくしかおみいくつただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。もんどうわたくしふとくようりょう

この問答は私にとってすこぶる不得要領のものでわたくしときそこおかえあったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。しかよっかたせんせいほうもんせんせいもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。先生ざしきでいなわらだは座敷へ出るや否や笑い出した。き

「また来ましたね」といった。きじぶんわら

「ええ来ました」といって自分も笑った。

わたくしほかひとしゃくさわ私は外の人からこういわれたらきっと癪に触ったろうおもせんせいときはんたいと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。しゃくさわゆかい癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。わたくしさびにんげんせんせいばんあいだ

「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間ことばくかえわたくしさびにんげんの言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるさびにんげんわたくしさびとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくってもとしとうごわか年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうはいうごうごうご行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いてなにぶつ何かに打かりたいのでしょう……」わたくしさむ

「私はちっとも淋しくはありません」わかさむ

「若いうちほど淋しいものはありません。そんならなぜあなわたくしうちくたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」あいだことばせんせいくちくかえ

ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。わたくしあさびき

「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでわたくしさびねもとしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元ひぬあちからほかから引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外のほうむいまてひろいまわたくし方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私うちほうあしむの宅の方へは足が向かなくなります」

せんせいさびわらかた先生はこういって淋しい笑い方をした。

 八

さいわせんせいよげんじつげんすけいけん幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験の

とうじわたくしよげんうちふくめいはくいぎない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義

りょうかいえわたくしいぜんせんせいあさえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いにいうちませんせいしょくたくめしく行った。その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようにしぜんけっかおくくちりなった。自然の結果奥さんとも口を利きかなければならないようになった。ふつうにんげんわたくしおんなたいれいたん

普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかっとしわかわたくしいまけいかききょうぐうた。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からわたくしこうさいこうさいおんなむすこといって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がげんいんぎもんわたくしきょうみなかった。それが源因かどうかは疑問だが、私の興味はおうらいであしおんなむおおはたら往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであっ

せんせいおくまえげんかんあときうつくた。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいといいんしょううあおないんしょううう印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けないこといがいわたくしおく事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥かたなにものきさんについて語るべき何物ももたないような気がした。おくとくしょくとくしょくしめ

これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示すきかいこかいしゃくほうせいとうし機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。し

わたくしせんせいふぞくいちぶぶんこころもちかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持でおくたいおくじぶんおっとところくしょせい奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だこういわたくしぐうちゅうかんからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間にたせんせいとのふたり立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばらばらになっていはじしあときおくた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただうつくほかなんかんのこ美しいという外に何の感じも残っていない。ときわたくしせんせいうちさけのときおく

ある時私は先生の宅で酒を飲まされた。その時奥さんできそばしゃくせんせいゆかいが出て来て傍で酌をしてくれた。先生はいつもより愉快そうみおくまえひとあじぶんに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分ののほさかずきさおくわたしじたい呑み干した盃を差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけあとめいわくうとおくきれいまゆよた後、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗な眉を寄せ

わたくしはんぶんつあさかずきくちびるさきもて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持っいおくせんせいあいだしもかいわはじて行った。奥さんと先生の間に下のような会話が始まった。めずことわたくしのことめった

「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」まえきらたまのい

「お前は嫌いだからさ。しかし稀には飲むといいよ。好いこころもち心持になるよ」くるたいへん

「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ごゆかいすこしゅめあ愉快そうね、少しご酒を召し上がると」ときたいへんゆかい

「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」こんや

「今夜はいかがです」こんやいこころもち

「今夜は好い心持だね」まいばんすこめあよ

「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」

「そうはいかない」めあくだほうさむよ

「召し上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」

せんせいうちふうふげじょいたいてい先生の宅は夫婦と下女だけであった。行くたびに大抵はたかわらごえきためひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなあるときうちなかせんせいわたくしかった。或時は宅の中にいるものは先生と私だけのようなき気がした。こどもいおくわたくしほう

「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方をむわたくしこたわたくし向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私のこころなんどうじょうおここどももこと心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないそときわたくしこどもうるさかんがの時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。ひとりもらせんせい

「一人貰ってやろうか」と先生がいった。もらこおくわたくしほう

「貰いッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方をむ向いた。こどもたせんせい

「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。

おくだまわたくしかわきとき奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時せんせいてんばつたかわら先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

 九

わたくししかぎせんせいおくなかいふうふいっ私の知る限り先生と奥さんとは、仲の好い夫婦の一ついかていいちいんくらことわたくし対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだふかしょうそくむろんわかざしきわたくしから、深い消息は無論解らなかったけれども、座敷で私たいざときせんせいなにげじょよと対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばない

おくよことおくなしずせんで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静といった)。先せいしずふすまほうふむよ生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたわたくしやさきへんじでくおくようすが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子はなはすなおちそうおくせきも甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席あらばあいかんけいいっそうあきふたりへ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人のあいだえがだ間に描き出されるようであった。

せんせいときどきおくつおんがくかいしばい先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのにいふうふいちしゅうかんいないりょこうこと行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、わたくしきおくにさんどいじょうわたくしはこね私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根かもらえはがきもにっこういときもみじら貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉のはいちまいふうこゆうびんもら葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。

とうじわたくしめうつせんせいおくあいだがら当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこひとれいがいんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。あるひわたくしとおせんせいげんかんあんないたの日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすざしきほうはなごえきると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それがじんじょうだんわいさかせんせい尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生のうちげんかんつぎざしきこうしまえた宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っわたくしみみいさかちょうしわかていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。そうひとりせんせいことときどきたかくしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来るおとこほうこえわかあいてせんせいひくおんだれ男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰

はんぜんおくかんだか判然はっきりしなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられなわたくした。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうとおもげんかんさきまよけっしんげしゅく思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へかえ帰った。

みょうふあんこころもちわたしおそきわたくししょもつ妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物をよのこのうりょくうしなやくいちじかん読んでも呑み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりせんせいまどしたきわたくしなよわたくしおどろすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いまどあせんせいさんぽしたわたくして窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私をさそさっきおびあいだくるとけいだみ誘った。先刻帯の間へ包んだままの時計を出して見ると、

はちじすわたくしかえはかまつもう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴を着けてい

わたくしおもてでた。私はそれなりすぐ表へ出た。ばんわたくしせんせいビールのせんせい

その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。先生はがんらいしゅりょうとぼひとていどの元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それよよのぼうけんひとで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。きょうだめせんせいくしょう

「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。ゆかいわたくしきどくき

「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。

わたくしはらなかしじゅうさっきことひかか私の腹の中には始終先刻の事が引っ懸っていた。さかなほねのどさときわたくしくるう肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ちあかんがよほうよおもなお明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直しどうようみょうわたくしようすたりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。きみこんやせんせいほうだ

「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出じつわたくしすこへんきみわかした。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」

わたくしなんこたえ私は何の答えもし得なかった。じつさっきさいすこけんかくだしん

「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神けいこうふんせんせい経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。

「どうして……」

わたくしけんかことばくちでこ私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。さいわたくしごかいごかいき

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かしょうちはらたせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」せんせいごかい

「どんなに先生を誤解なさるんですか」

せんせいわたくしとこた先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。さいかんがにんげんわたくし

「妻が考えているような人間なら、私だってこんなにくる苦しんでいやしない」

せんせいくるわたくしそうぞう先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像のおよもんだい及ばない問題であった。

 十

ふたりかえあるちんもくいっちょうにちょう二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁もつあととつぜんせんせいくちきだづいた。その後で突然先生が口を利き出した。わることおこでさいしんぱい

「悪い事をした。怒って出たから妻はさぞ心配をしているかんがおんなかわいわたくしさいだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻な

わたくしほかたよどは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」

せんせいことばとぎべつわたくしへん先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返じきたいようすつづうつい事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。おっとほうこころじょうぶすこ

「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少しこっけいきみわたくしきみめうつつよひと滑稽だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人にみよわひとみ見えますか、弱い人に見えますか」ちゅうぐらいみわたくしこたこたせんせい

「中位に見えます」と私は答えた。この答えは先生すこあんがいせんせいくちとむごんにとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言あるだで歩き出した。

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