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发布时间:2020-07-20 04:01:30

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厦门大学日语语言文学系611基础日语历年考研真题及详解

厦门大学日语语言文学系611基础日语历年考研真题及详解试读:

2014年厦门大学611基础日语考研真题及详解

一、次の専門用語を日本語で解釈しなさい。(30文字以上で答えること)(5×4=20点)

1.異音   2.ムード   3.ポライトネス 4.統語論【答案】

1.音声学で、ある音素がいくつかの異なる音声として現れるときに、その個々の互いに異なる音声を指す。

2.言語学で使われる用語で、文法カテゴリーの一つである。文が表す出来事の現実との関係や意図、聞き手に対する態度などを表す。

3.会話の参加者がお互いにフェイスを侵さないために行う言語的配慮のことである。

4.文法論の一部門。文中の単語·語群の配列様式とその機能の解明などを研究対象とする学問。統辞論。構文論。

二、次の言葉の誤った用字を正しくしなさい。(1×10=10点) 

1.九々を暗誦する   2.丸坊頭     3.未曽有   4.幼若な子供  5.風物誌

6.浴漕        7.余世を送る  8.ご鞭達   9.露店商     10.老旧化【答案】

1.誦→唱   2.頭→主  3.曽→曾  4.若→弱  5.誌→詩

6.漕→槽   7.世→生  8.達→撻  9.店→天  10.旧→朽

三、傍線部のかたかなを漢字に改めなさい。(1×10=10点)

①長いサイゲツがかかる。     〔   〕

②シャツのエリに手をやる。   〔   〕

③ショウガイを乗り越える。    〔   〕

④製品にケッカンが見つかる。   〔   〕

⑤公園にヒナンする。        〔   〕

⑥メイワクをかける。        〔   〕

⑦わくわくするモヨオし物。    〔   〕

⑧スイテキをしたたらせる。    〔   〕

⑨物音にビンカンになる。      〔   〕

⑯セイジャクが戻る。        〔   〕【答案】

①歳月

②襟

③障害

④欠陥

⑤避難

⑥迷惑

⑦催

⑧水滴

⑨敏感

⑩静寂

四、次のセンテンスを読んで、不適当な表現を正しくしなさい。(2×8=16点)

1.黒板の上に字が書いてある。【答案】黒板に字が書いてある。

2.6000円じゃ、劇団の事務員さんに対しては辛いでしょう。【答案】6000円じゃ、劇団の事務員さんにとっては辛いでしょう。

3.僕が後で鞄をお持ちになりましょうか。【答案】僕が後で鞄をお持ちしましょうか。

4.ただいま満席となっておりますので、少々お待ちしてください。【答案】ただいま満席となっておりますので、少々お待ちください。

5.すみれ銀行の松岡からお電話があったと、申し伝えください。【答案】すみれ銀行の松岡からお電話があったと、お伝えください。

6.蟻の入り込む隙もない。【答案】蟻の這い出る隙もない。

7.お愛想してください。【答案】お勘定、お願いします。

8.お体をご自愛ください。【答案】ご自愛ください。

五、次のものを説明しなさい。(50文字以上で答えること)2×10=20点

①『古今和歌集』【答案】平安時代前期、醍醐天皇の勅命により、紀友則、紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒の四人編纂した勅撰和歌集。20巻、歌数1095首余。

②『掌の小説』【答案】川端康成が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集。特徴は短い。全総数128編。

六、次の文を現代日本語に訳しなさい。10点

一言一行によりて、人のよきあしきを定むること

人のただ一言(こと)、ただ一行(わざ)によりて、その人のすべてのよきあしきを定め言ふは、から書(ぶみ)のつねなれども、これいとあたらぬことなり。すべてよき人と いへども、まれにはことわりにかなはぬしわざもまじらざるにあらず。あしき人といへど も、よきしわざもまじるものにて、生けるかぎりのしわざ·ことごとによきあしき一かた に定まれる人は、をさをさなきものなるを、いかでかはただ一言一行によりては定むべき。

(『玉勝間』八)【参考译文】

一言やひとつの行為は人の善し悪しを決定する。

人の言った、ただ一言や、ただ一つの行為によって、その人のすべての良い悪いを言い定めるのは、中国の書物の当たり前のことであるが、それはそんなに当てはまらないことである。全て、良い人であっても、たまには道理に合わない行為も混じらないわけにはいかない。悪い人であっても、良い行為も混じるものであって、生きている間の行為が、どれもこれも、良いこと悪いことの一方に決まっている人は、めったにいないものだるのに、どうして、ただの一言や一つの行為でその人の全てを決めてしまって良いものであろうか、決して良くはないのである。

七、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(35点)

昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむを得ないからやる。しかのみならず、道楽の念はとにかく、①道楽の道はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいという方角も程度もいたって微弱なもので、たまに足を伸ばしたり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。②今日は、死ぬか生きるかの問題はだいぶ(ア)チョウエツしている。それが変化して、むしろ③生きるか生きるかという競争になってしまったのであります。生きるか生きるかというのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるか、Bの状態で生きるかの問題に(イ)フシンしなければならないという意味であります。活力節減のほうで例を引いてお話をしますと、人力車を引いて④渡世にするか、または、自動車のハンドルを握って暮らすかの競争になったのであります。どっちを家業にしたって、命に別条はないに決まっているが、どっちへ行っても労力は同じだとは言われません。人力車を引くほうが汗がよほど多分に出るでしょう。自動車の(ウ)ギョシャになってお客を乗せれば——もっとも自動車を持つくらいなら⑤お客を乗せる必要もないが——短い時間で長い所が走れる。くそ力はちっとも出さないで済む。活力節約の結果、楽に仕事ができる。

されば自動車のない昔はいざ知らず、いやしくも発明される以上、人力車は自動車に負 けなければならない。負ければ追いつかなければならない。というわけで、少しでも労力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現れて、ここに一つの(エ)波瀾を誘うと、⑥ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化の中に起こって、各部の比例がとれ、平均が(オ)カイフクされるまでは、動揺してやめられないのが人間の本来であります。積極的活力の発現のほうから見ても、この波動は同じことで、早い話が、今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣の男がうまそうにエジプト煙草をのんでいると、やっぱりそっちがのみたくなる。また、のんでみれば、そのほうがうまいにちがいない。しまいには、敷島などを吹かす者は人間の数へ入らないような気がして、どうしてもエジプトへのみ移らなければならぬという競争が起こってくる。通俗の言葉で言えば、人間が贅沢になる。道学者は、<  >の立場から始終奢侈を戒めている。結構にはちがいないが、⑦自然の大勢に反した訓戒であるから、いつでも駄目に終わるということは、昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか考えてみればわかる話である。

問一 傍線部(ア)~(オ)のカタカナは漢字に改め、漢字には読みを記せ。(1*5)

問二 傍線部①について、「道楽の道」が「まだ開けていなかった」昔は、具体的にはどのような状態であったと言われているか。本文中の表現を用いて説明せよ。(6点)

問三 傍線部②「今日は、死ぬか生きるかの問題はだいぶチョウエツしている。」を、昔と今日の違いに留意してわかりやすく説明せよ。(6点)

問四 傍線部③「生きるか生きるかという競争」とは、どういう意味か。傍線部以降の文を参考にしてわかりやすくまとめよ。(6点)  

問五 傍線部④「渡世」の意味を答えよ。(2点)

問六 傍線部⑤「お客を乗せる必要もない」のはなぜか。次の中から適当なものを選び、 記号で答えよ。(3点)

ア 自動車を持てる高い身分なので、他人を乗せることが不釣り合いだから。

イ お客を乗せることで、自動車を持っているという自負心が強くなるので。

ウ お客を乗せることで、自分の命には別条はないが、苦労が伴うから。

エ 自動車を持てるほどの経済的な余裕があれば、暮らしの不安がないので。

問七 傍線部⑥に「一種の低気圧と同じ現象」とあるが、それは人間のどのような状態を 述べたものか。本文中から一○字で抜き出せ。(3点)

問八 < >に入る適語(漢字三字)を答えよ。(2点)

問九 傍線部⑦「自然の大勢」とは、どういう意味か。次の中から適当なものを選び、記号で答えよ。(2点)

ア時の勢力の推移 

イ人間の生死への意識 

ウ宇宙自然の大きな流れ

エ人間の活動に基づぐ生活の変化

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※問一【答案】超越  腐心  御者  はらん  回復問二【答案】こうしたい、ああしたいという方角も程度もいたって微弱なもので、たまに足を伸ばしたり手を休めたりして、満足していたくらいのもの。【解析】由第一段第四句话可知,还没有条件培养兴趣爱好的年代,人们想要尝试各种东西的目标和渴求都很小很轻微,偶尔出趟远门,放下工作休息一下就很满足了。問三【答案】昔は死ぬか生きるかの問題で、努力しなければ死んでしまうが、今はどうやって生きるかの問題だ。【解析】由第一段可知,以前的人们要为了生存而拼命工作,而现在的人们生存下去已经不成问题,关注的重点也转移到如何生活。問四【答案】どのような状態で、どうやって生きるかという意味。【解析】从后一句话可知,「生きるか生きるかという競争」的含义是,要绞尽脑汁考虑过什么样的生活。問五【答案】暮らしていくための職業【解析】生计,职业問六【答案】エ【解析】有经济能力买汽车的话,也就不必通过载客赚钱了。問七【答案】動揺してやめられない問八【答案】倫理的【解析】道学者从伦理性的角度出发,坚持戒除骄奢。問九【答案】エ【解析】由最后一段最后一句可知,从古至今人类的生活变得越来越物质丰富,越来越奢侈。而道学家戒除骄奢是违反这一基于人类活动的生活变化的,故选エ。

八、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。(9点)

「男のくせに泣くなよ」とか、「女のくせに料理もできない」というときの「くせに」 という言葉はどういう意味で使われるのだろうか。「女のくせに泣くなよ」「男のくせに料理でもできない」とは普通はいわない。これは「くせに」というのが、一般的な通念や共通の了解事項に基づく「予期」に反していることを非難する言い方であり、この場合、「男は泣かないもの、泣くべきではない」「女は当然、料理ができるはず」という予期に反していることを非難する言い方だからだ。

そして、このような表現を使うことによって、「男は泣かないもの」「女は料理ができるもの」という共通了解や通念を聞き手にも意識させたり、また、無意識に浸透させる効果もある。「女のくせに…」と言われて(2)思いをしたことのある女性も多いに違いない。次に、なぜ、「料理ができない」の「が」の代わりに「料理もでぎない」というふうに「も」が使われるのだろうか。

問1 「女のくせに泣くなよ」「男のくせに料理もできない」とは普通はいわないのはなぜか。(40字以内に書くこと)【答案】

「女は泣く」、「男は料理できない」という通念や共通の了解事項に基づく「予期」に反しているから。

九、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。(20点)

試験ならば即座に答えてしまえるものを、この日の(A)この質問には本当に悩まされ た。答えようにも(B)私にはひとりも友建らしいものはなかったからである。

しかし、ひとりも友達がなかったと言って、私は人に馬鹿にされて相手になって貰えな かったのではない。かえって私は人に畏れられていたのである。私は大人びた子供で学科 も不出来ではなかったし、私の家は医者だというので田舎町の純朴な人たちは尊敬してい てくれた。そういうわけで、小さな我々の仲間までが、私をへんに畏敬する風があった。それに私は、いつもひとりで遊んでいる無口な子供ではあったし、誰も用事の時の外には、気軽に口を利いてもくれなかったのである。それを、私はふだんはたいして不幸にも思ったのではない。しかし、今日こうして、お前の友達は誰々だと問われると、すぐに答え得る名のないのを寂しく思ったのです。そのうえ、私は先生に向かってきっぱりと友達はひとりもないと書くことは出来なかったのです。どうしてだかしりません。いろいろと考えた末で私は、教室における自分の座席のぐるり四、五人の子供の名を順々に書き並べたのです。何故かというのに、その子供たちが、(C)そういう位置に置かれた自然の関係として、自然と、最も多く私と口を利く機会が多かったからでした。

その時間が過ぎてしまって、自由な時間が来た時、子供たちは、今のさっきの先生の質 問をさも重大な事件のように話し合っていた。彼等は皆、人々に、おれはお前のことを書いたというようなことを言い合っていた。しかし、私に向かってそんなことを言いかけた 者はひとりもなかった。すると、いつものように黙っている私のところへ来て、ひとりの 子供が話しかけた……

「あんた。誰書いたんな?」

その子は快活な口調で言った。それは教室で私のすぐうしろにいた子供であった。きさ くな性質で、気むずかしげな私に対しても常から最も多く口を利いていた。彼に対して私 は答えた……

「おれはあんたの名を書いたんじゃ」

その答とともに、彼のはしゃいでいた顔は(D)一刹那なにがらりと変化した。しばらく無言だった彼は、やっと私に言った……

「こらえておくれよ。のう、わあきゃあんたをわすれたあった。わあきゃあ、ぎょうさ んつれがあるさか」

三十年を経た今日、彼のその言葉を、私はそっくりとその田舎訛りのままで思い出す。そうして私は彼のこの正直な一言に、(E)今も無限の友情を見出すのです。ひょっとすると、これが私のうけた第一の友情ではな いかとさえ思われるくらいです。

(秋田県)

問1 (A)「この質問」の内容にあたる言葉を文章中から十字以内で抜き書きしなさい。(3 点)

問2  (B )「私にはひとりも友達らしいものはなかった」とあるが、それはなぜか。次から一つ選んで、符号で答えなさい。(3点)

ア 友達のいない寂しさに、仲間は気がつかなかったから

イ みんなに馬鹿にされ、相手にしてもらえなかったから

ウ 無口なうえ、医者の子として人々に畏敬されていたから

エ 学科もでき、大人びていたので仲間がいやがったから

問3  (C)「そういう位置」とはどんなことを指しているか。文章中から見つけて九字で抜き書きしなさい。(4点)

問4 (D)「一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だった彼は」とあるが、このときどういう心の変化があったと思われるか。次の文の[a]、[b]にあてはまる言葉をあとのア~カから一つずつ選んで、符号で答えなさい。(4点)

「私」の答えに、[a]自分が「私」の名を書かなかったことに[b]を感じた。

ア)あわれみ  イ)なげき  ウ)怒り

エ)すまなさ  オ)寂しさ   カ)驚き

問5  (E)「今も無限の友情を見出す」とあるが、それはどんな友情か(20字以上でまとめること)。(6点)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※問1.【答案】お前の友達は誰々だ【解析】由第二段第七句话可知,「この質問」指的是「お前の友達は誰々だ」。問2.【答案】ウ【解析】由第二段可知,作者是因为是医生的儿子而受到了伙伴们的敬畏,而且沉默寡言,所以没什么朋友,故选ウ。作者并没有被同学小看,也不是因为成绩优异而被排挤,故排除イ和エ。ア文中没有提到。問3.【答案】自分の座席のぐるり【解析】孩子们会自然而然地和坐在自己周围的同学交好,聊天的机会也比较多。問4.【答案】カ エ【解析】作者的朋友一开始陷入了沉默,是因为对作者写了自己这件事感到十分惊讶,而后又因为自己没写作者而感到十分抱歉,恳求作者的原谅。問5.【答案】思いやりのある、純粋な友情だ。

2013年厦门大学611基础日语考研真题及详解

一、次の専門用語を日本語で解釈しなさい。(30文字以上で答えること)(5×4=20点)

1.形態素 2.テンス 3.類義語 4.万葉仮名【答案】

1.形態素:言語学の用語で、意味を持つ最小の単位である。ある言語においてそれ以上分解したら意味をなさなくなるところまで分割して抽出された、音素のまとまりの一つ一つを指している。

2.テンス:発話の中で規定される言語学的な時間を示す文法範疇で、時間軸上の一時点を基にして、時間の前後関係(現在·過去·未来など)を表す動詞の組織的語形変化である。

3.類義語:同一言語において、語形は異なるが意味は互いによく似ており、場合によっては代替が可能となる二つ以上の語である。

4.万葉仮名:主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『万葉集』での表記に代表されるため、この名前がある。

二、次の言葉の誤った用字を正しくしなさい。(1×10=10点)

1.案の条   2.意志表示  3.異和感   4.引卒    5.温健

6.過少評価  7.価値感   8.機械体操  9.危機一発  10.魚貝【答案】

1.案の定   2.意思表示  3.違和感   4.引率    5.穏健

6.過小評価  7.価値観   8.器械体操  9.危機一髪  10.魚介

三、次の括弧内のカタカナを漢字に直しなさい。(10×0.5=5点)

①脳の(カッセイカ)に役立つ本だ。

②これは(シンパイ)機能を鍛える運動だ。

③眠っていた能力を呼び(サ)ます。

④商品開発の名案を(ネ)る。

⑤交渉を始めるための(フセキ)を打った。

⑥あまりにも(トウトツ)な行動だ。

⑦健康保険に (カニュウ)するべきだ。

⑧彼女の行動に皆が面(ク)らった。

⑨国から研究を(イタく)された。

⑩(デンゲキ)的な発表に驚いた。【答案】

①活性化 ②心肺 ③覚   ④練  ⑤布石

⑥唐突  ⑦加入 ⑧食/喰 ⑨委託 ⑩電撃

四、次のセンテンスを読んで、不適当な表現を正しくしなさい。(1×8=8点)

1.ご捺印をさせて頂きました。【答案】捺印をさせて頂きました。

2.わたくしがお話しになったとき。【答案】わたくしがお話ししたとき。

3.今日は病気なので、休んでいただけますか。【答案】今日は病気なので、休ませていただけますか。

4.宝くじに当たったら、なんとうれしいでしょう。【答案】宝くじに当たったら、なんとうれしいことでしょう。

5.一番大切なのは、どんな困難にあっても、希望を捨てずに、それを打ち勝つ自信を持つことだ。【答案】一番大切なのは、どんな困難にあっても、希望を捨てずに、それに打ち勝つ自信を持つことだ。

6.私はこの主張が不賛成だ。【答案】私はこの主張に不賛成だ。

7.彼はあの日東京にいたんだから、犯人ではないにちがいない。【答案】彼はあの日東京にいたんだから、犯人ではないだろう。

8.警察は犯人が銀行から出てくるのを捕まえた。【答案】警察は犯人が銀行から出てくるところを捕まえた。

五、次のものを説明しなさい。(50文字以上で答えること)(6×5=30点)

1.松尾芭蕉(人名)

2.『南総里見八犬伝』

3.幸若舞

4.『小説の方法』とは誰の作品か、その内容を簡単に論じなさい。

5.道元【答案】

1.松尾芭蕉(人名):江戸時代前期の俳人である。正保元年に生まれ、京都で北村季吟に学んだ。「おくのほそ道」などの旅をへて、不易流行の思想、わび·さび·軽みなどの蕉風に辿り着いた。作句は没後、「冬の日」「猿蓑」「炭俵」などの七部集にまとめられた。

2.『南総里見八犬伝』:曲亭馬琴作の読本である。勧善懲悪を基調とし、仁·義·礼·智·忠·信·孝·悌の八つの徳の玉をもつ八犬士を中心に、安房の里見家の興亡を描いたものであり、中国演義小説の方法による長編伝奇小説の代表作だと言われている。

3.幸若舞:日本の中世芸能の一つである。桃井幸若丸が始めたというのでこの名称があり、室町時代前期に興り、江戸時代初期まで行われた。語りを主とし、扇拍子などの音曲に合わせて舞うものであり、軍記物語に題材をとったので、戦国武将に愛好されたという。

4.『小説の方法』:伊藤整の作品である。私小説中心の日本の近代小説の性格を、ヨーロッパの文学や生活環境などの観点から、比較して様々な角度から考察した評論集である。私小説論、文学原理論として、第二次世界大戦後の名著の一つに数えられるという。

5.道元:鎌倉初期の禅僧で、日本曹洞宗の開祖である。比叡山で修学し、のち入宋して禅をまなんだ。帰国後、京都深草に興聖寺を開き、その後越前に移り、大仏寺を開創した。また、純一の禅風で知られ、「正法眼蔵」「永平清規」などの著作があるという。

六、次の文章を現代日本語に訳しなさい。(10点)

(原文)

須賀直見が言ひしは、「広く大きなる書を読むは、長き旅路を行くがごとし。おもしろからぬ所も多かるを経行きては、またおもしろく目覚むる心地する浦山にも至るなり。また、脚強いき人は速く、弱きは行くこと遲きも、よく似たり。」とぞ言ひける。をかしきたとへなりかし。【玉勝間】より【参考译文】

須賀直見が言ったことは、「内容や量が充実している書物を読むのは、長い旅の道を行くようなものである。おもしろくない場所をたくさん歩くと、また目が覚めるような海岸や山に出て、おもしろくなる。また、足が強い人は速く、足が弱い人は遅く進んでいくのも読書に似っている」ということである。おもしろい比喩だね。【解析】

「~ごとし」表示比况,类似于现代日语中的「~のようだ」「~みたいだ」。

「かし」表示强烈的语气,类似于现代日语中的「~ね」「~よ」。

七、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(30点)

この種の自己中心性を示す例はいろいろあげられるが、いずれにせよそれらは発達の過程でいずれ(ア)コクフクされるべきものとして問題にされる。しかし私がここで言おうとしている本源的自己中心性というのは、これとは少し違う。

ピアジェの言う自己中心性は四、五歳までくらいのことで、< A >自分の視点を離れて他者の視点からも物事を考えることができるようになる。今の例であれば、自分にとって太郎が兄弟なら、太郎にとっても自分が兄弟だということがわかる。こうして自分の視点を抜け出すことができるようになることを、ピアジェは①脱中心化と言う。自分の視点にとどまっている限りは世の中を自分の視点から理解することしかできないが、脱中心化によって自分以外の視点から物事を見ることができるようになれば、他者の視点に立ち、またa第三者の視点に立って、科学的な客観性に到達することができる。あるいは相手の視点に立つことで相互的な社会関係を持てるようになる。これは子供の育ちにとって非常に重要なことだということで、ピアジェはこの脱中心化を、発達のbメカニズムの重要な一つとして重視したのである。

ピアジェはのちに、幼児期に限らず、さらにその後の段階でもそれぞれの自己中心性があって、それを乗り越え脱中心化していくと論じていくことになるのだが、ではそうして各段階の脱中心化過程を(イ)ヘていけば、< A >大人の段階には完全に第三者の目で物事を(ウ)ジュンスイに客観的に考えることができるようになるのだろうか。②ピアジェ的な理念のもとではそうなるはずなのだが、③現実は決してそう単純ではない。

生身の身体を(エ)抱えている私たちは、どんなに脱中心化を(オ)テッテイしようとしても、自分のこの身体の内側からこの人生を生きているという事実を抜け出すことはできない。私たちは生まれたその瞬間から死ぬその瞬間まで、自分の身体につきまとわれているわけで、頭の中でいくら脱中心化をテッテイしようとしても限界がある。(評論)身体の個別性

問一 傍線部(ア)~(オ)のカタカナは漢字に改め、漢字は読みを記せ。(5点)

問二 二重傍線部a「第三者」b「メカニズム」の語句の意味を答えよ。(4点)

問三 < A >に共通して入る語句を次から選べ。(1点)

ア たぶん  イ かならず  ウ はたして  エ やがて

問四 傍線部①「脱中心化」とはどういうことか。本文中から二三字で抜き出せ。(3点)

問五 傍線部②「ピアジェ的な理念」を説明した次の文の空欄に、本文中の語句を入れよ。(12点)

ピアジェは、幼児は自分の< Ⅰ > からしか物事を見ることができないが、やがて< Ⅱ >により自分の視点を離れて他者の視点から物事を考えることができるようになり、その結果、科学的な< Ⅲ >に到達したり、< Ⅳ >な社会関係を保てるようになると考えた。つまり脱中心化の過程を経ていくことで、< Ⅴ >になると完全に< Ⅵ >の視点に立って物事を客観的に考えることができると理論立てた。

問六 傍線部③「現実は決してそう単純ではない」のはなぜか。その理由を五○字以内で説明せよ。(5点)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※問一【答案】ア 克服  イ 経  ウ 純粋  エ かか  オ 徹底問二【答案】「第三者」:当事者以外の者

「メカニズム」:物事の仕組み問三【答案】エ【解析】「やがて」结果,归根到底 「たぶん」大概

「かならず」一定,必定  「はたして」果然,果真問四【答案】「脱中心化」とは、自分の視点を離れて他者の視点からも物事を考えることができるようになることである。問五【答案】Ⅰ  視点   Ⅱ 脱中心化  Ⅲ 客観性

  Ⅳ 相互的  Ⅴ 大人    Ⅵ 第三者【解析】Ⅰ和Ⅲ定位第二段的第四句话,Ⅱ定位第二段的第三句话,Ⅳ定位第二段的第五句话,Ⅴ和Ⅵ定位第三段的第一句话。問六【答案】人間は自分の身体につきまとわれているわけで、脱中心化をするのには限界があるからである。

八、次の文書を読んで、後の質問に答えなさい。(10点)

油を塗った布を一滴たらすと、水は玉になって布の上にのっかります。液体には、なるべく表面積を小さくしようとする表面張力があるからです。ところが、これに洗剤をたらすと、玉が崩れて布の表面が濡れてしまいます。このように、表面張力をなくす働きをするものを界面活性剤というのです。洗濯するためには、まず洗うものをよく濡らして、繊維の隅々まで洗剤を染み込ませなくてなりません。そのとき、洗剤の界面活性力が必要とされるわけです。(竹内均「頭にやさしい雑学読本①」同文書院による)

問1 ここで言う「界面活性剤」とは何か。(30字以内に書くこと)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【答案】液体の表面張力をなくして、織物を濡らす働きをするものである。

九、次の文書を読んで、後の質問に答えなさい。(27点)

日本人にとって(①)山は山以上のものであった。山を見ながら、人は自然の懐に抱かれている人間というものの存在のありかをはっきりと自覚することができた。一方、国破れて山河ありというとき、山河にいつもかわらぬ、共同体の帰属する心の故郷を持つことができた。自然破壊は、自然の生態系を破壊するばかりではない。②近代科学的な自然保護、そのような自然観ばかりが先行すると、文化としての自然をないがしろにすることになる。単なる地質学的な山や植物学の標本のような自然は、いわば、自然の残物である。どこまでいっても、利用される素材としての自然をこえるものではない。よりよく、末ながく有効に利用しようという配慮いがいの何物でもない。そこで、自然を愛そうといい、あるいは、大切にしましょうといっても、究極的には環境破壊という生産社会の論理をあてはめているにすぎない。山が山以上のものであるということ、文化としての自然があるということは、自然が人間の精神文化の充実にかかわっているということである。個人はもとより、山を仰ぎみる共同体の意識の形成、感性の熟成、歴史観の成立に、山がふかくかかわってきたし、今後もそのようなものとして人間の目に見えない、いわば第二の自然を形づくっているということである。私たちが、産業社会の論理に行き詰まったまま、そこへ帰ってゆくことによって、見失われた日本人の根拠とのつながりを、心の奥ふかく抱いている奥深い真理への愛や、故しれぬ超越者なるものとのつながりを見出す途でもある。それをひろく、宗教的な情緒といってもいい。③このような感性は、山を仰ぎ見、先人のさまざまな思い入れをしのぶとき、今日でも、私たちのうちに甦ってくる。

問1 ①「山は山以上のものであった」とはどういうことか。(5点)

問2 ②「近代科学的な自然保護」とはどんなことを目的としたものか。(5点)

聞3 ③「このような感性」とはどのような感性か。(5点)

問4 「国破れて山河あり」の意味について解釈しなさい。(30字以上でまとめること)(7点)

問5 「自然」に関する慣用句を5つ書きなさい。(5点)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※問1.【答案】山は自然的なものだけでなく、個人および人間共同体の意識の形成、感性の熟成、歴史観の成立にも深く関わってきたし、今後もこのように第二の自然を形作っている。問2.【答案】よりよく、末ながく有効に自然を利用しようとすること。問3.【答案】自然へ帰り、見失われた日本人の根拠とのつながりや、心の奥深く抱いている奥深い真理への愛や、故知れぬ超越者なるものとのつながりを見出すような感性。問4.【答案】戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。

問5.【答案及解析】

「風に柳」百依百顺    「嵐の前の静けさ」暴风雨前的宁静

「波に乗る」顺应潮流   「山高きが故に貴からず」山不在高,有树为贵

「雷が落ちる」大发雷霆

2012年厦门大学611基础日语考研真题及详解

一、次の専門用語を日本語で解釈しなさい。(3×4=12点)

1.慣用句

2.受身

3.寺小屋

4.洋学【答案】

1.慣用句:二つ以上の語から構成され、句全体の意味が個々の語の元来の意味からは決まらないような慣用的表現である。

2.受身:日本語文法で、他者からの動作·作用をうけるものを主語として述べることである。一般には受動態と呼ばれる。口語では助動詞「れる」「られる」、文語では「る」「らる」を付けて言い表す。

3.寺小屋:寺子屋とは、江戸時代、町人の子弟に読み書き、計算や平易な道徳等を教育した民間教育施設である。手習所や手習塾ともいう。

4.洋学:江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの学術·文化·技術を蘭学と称し、幕末の開国以後は世界各国と外交関係を築き、オランダ一国にとどまらなくなったため、「洋学」の名称が一般的になり、蘭学を含めた西洋の学問全般をさしていった。

二、次の文章を読んで、①一⑤から適当なものを選んで、(   )の中に書き入れなさい。(5点)

昔の文法で、〈センテンスの分類〉というと、〈平叙文〉〈疑問文〉〈命令文〉(   A   )などとやったものだ。終戦までの中学校の文法教科書はたいていそうだった。これは、ヨーロッパ語の文典の分類を一一しかも旧式な分類を日本語にそのまま流用したもので、日本語のセンテンスの性格とは無関係だった。英語などでは、(   B   )には〈主語〉が用いられないとか、(   C   )のときは、(   D   )と(   E   )との位置が変る、とかいうきまりがある。しかし、日本語のいわゆる(   D   )などは、はなはだ影の薄いもので、用いられないことがたくさんある。センテンスの種類がちがったぐらいでは、位置が引っくり返らない。だから、日本語のセンテンスの分類は、全然違った立場から行われるべきだった。

①疑問文

②命令文

③感動文

④主語

⑤述語【答案】A.③  B.②  C.①  D.④  E.⑤

三、次の①—⑥と、よく似た意味を持つものを、後のア—一力の中から選んで、記号で答えなさい。(2×6=2点)

①自由自在(   )       

②十中八九(   )

③一挙両得(   )       

④無我夢中(   )

⑤多種多様(   )       

⑥針小棒大(   )

ア 十人十色      イ 一石二鳥      ウ 縦横無尽

エ 一心不乱      オ 九分九厘      カ 大言壮語【答案与解析】

①-ウ 自由自在:自由自在,不受拘束。

縦横無尽:无拘无束,尽情。

②-オ 十中八九:八九不离十,几乎,大体。

九分九厘:几乎全部,大部分。

③-イ 一挙両得:一举两得,做一件事获得双重利益。

一石二鳥:一石二鸟,一箭双雕,做一件事情获得双重利益。

④-エ 無我夢中:忘我,热衷于某事而忘掉一切。  

一心不乱:心无二用,专心致志,精力集中在一件事上。

⑤-ア 多種多様:多种多样,各式各样,形形色色。

十人十色:(人的性格、思想、爱好)各不相同,十个人十样。

⑥-カ 針小棒大:夸大其词,言过事实。

大言壮語:说大话,夸海口。

四、次のものを説明しなさい。(6×5=30点)

1.『今昔物語集』

2.『お伽草子』

3.小林一茶

4.『奥の細道』

5.白樺派【答案与解析】

1.『今昔物語集』とは平安時代末期に成立したと見られる説話集である。三十一巻から成り、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部構成となっており、本朝の部はさらに仏法部と世俗部を区分し、前半が仏教説話、後半が世俗説話となっている。漢字片仮名交じり文で、当時の口語や俗語も取り入れている。説話文学の集大成というべき作品である。

2.お伽草子とは室町時代を中心に行われた短編小説の総称である。お伽草子は一般の民衆や婦女子が対象であったため、通俗的な内容でストーリーも単純であった。また文章も幼稚で、文学的価値には乏しい。しかしお伽草子は中古までの物語から近世の仮名草子や浮世草子の仲介役を果たすものであり、見逃すことはできない。お伽草子には『一寸法師』『浦島太郎』『酒呑童子』などがある。

3.小林一茶は江戸後期の俳人である。その俳諧にはよく弱者への同情と強者への皮肉という気持ちが流露した。俗語·方言などを駆使し、題材は庶民生活感情から取ったものがおおいため、浪漫性にやや乏しいが、個性に富んでおり、人間味が溢れている。『父の終焉日記』『おらが春』など、真情あふれる文句集を書いている。

4.『奥の細道』は元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉による紀行文である。芭蕉の著作中で最も著名であり、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。日本の古典における紀行作品の代表的存在である。

5.白樺派とは明治末から大正にかけての近代文学の一派であり、雑誌『白樺』によって人道主義·理想主義を標榜し、新理想主義とも言われる。「無理想·無解決」を求めた自然主義の消極的な人間観に対し、自我の高揚を主張する人道主義·理想主義の立場に立ち、人間の尊重を回復しようとした。武者小路実篤·志賀直哉·有島武雄·長与善郎·里見弴などがこの流派の代表者である。

五、次の文章を現代日本語に訳しなさい。(10点)

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。

玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を争うへる、尊き卑しき人の住居は、代々を経て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。——『方丈記』より【答案】

行く川の流れは絶えることがなくて、なおその上に、もとの水と同じではない。流れが滞っている所に浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では生じて、長い間、同じであり続ける例はない。世の中に存在する人と家とは、また、このようなものである。

玉を敷いたように美しい都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住居は、長い年月を経過してもなくならないもののようであるが、これはほんとうかと調べてみると、昔からあったままの家はめったにないものである。

六、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(3×6=8点)

悲しみは喜びよりも深いように見える。そして不幸は幸福より人の心をとらえる,同情といラことばは元来、情をともにするという意味であるが、喜びをともにするほうに使われないで、悲しみをともにするほうに多く使われることには、見のがしえない意味①があるようだ、行きずりの人の幸福そうな顔に、われわれも心の明るくなるように思うこともないではないが、それ②は心の表面を擦過するだけで、悲しみの目や不幸に打ちひしがれた顔がわれわれの心に刻み付ける深い刻印にくらぶべくもない。 ③ 、その人の幸福を心から願い心から喜ぶことは、その不幸を心から悲しむことより、いっそう深い愛の

証拠になるのである。つまり、不幸になることはやさしいが、幸福になることは難しいのである。幸福になる術④を人びとがむかしから説いてきたのはそれ⑤によるものである。

問1 ①の部分はどんな意味か。

A.人間は同情心を持っている

B.人間が幸福な人を羨む

C.悲しみと喜びがともにある

D.不幸は幸福よりも人の心をとらえる

問2 ②の「それ」は何を指すか、

A.人の幸福そうな顔

B.人の悲しそうな顔

C.不幸な人への同情

D.心が明るくなる

問3 ③ に入れる言葉はどれか。

A.しかし    

B.そして   

C.だから   

D.また

間4 ④の「術」はどんな意味に用いられているか。

A.専門職    

B.技術    

C.方法    

D.魔術

問5 ⑤の「それ」は、ここで何を指すか,

A.不幸を心から悲しむ1ことより、いっそう深い愛の証拠になるということ

B.不幸になることはやさしいが、幸福になることは難しいということ

C.人の幸福を心から願い心から喜ぶこと

D.人の不幸を心から悲しむし、人の幸福を心から喜ぶこと

問6 筆者の書おうとしているのはどれか。

A.不幸になることはやさしいが、幸福になることはやさしくない

B.努力しなければ不幸になりやすく、幸福になると難しい

C.努力さえすれば幸福になることは難しい

D.人の幸福を心から願い心から喜ぶべきだ

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【答案与解析】

問1.D 文章第二句话提到,不幸比幸福更能抓住人心。故选D。

問2.A 「それ」指代前文提到的内容,即人们脸上看起来幸福的表情。故选A。

問3.C 此处前文提到幸福的表情远不及悲伤的眼神或被不幸击垮的脸在我们内心留下的印记深刻。下文提到发自内心地为别人的幸福高兴比发自内心地悲伤于别人的不幸,更加是深深的爱的证据。这两句是因果关系,故选C。

問4.C 划线部分意为“变得幸福的方法”,故选C。

問5.B 「それ」指代前一句提到的“变得不幸很容易,变得幸福很难。”故选B。

問6.D 作者首先提到不幸比幸福更能抓住人心,人们更多地将同情这一词与悲伤共同使用。然后提到不幸比幸福对人心影响更大,即变得不幸容易,变得幸福很难。因而为别人的幸福高兴比为别人的不幸悲伤更加是爱的表现。故选D,作者想要传达的是人们应当由衷地为别人的幸福而高兴。

七、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。(3×10=30点)

一つ一つの単語が特有の語感をもつように、一つ一つの文宇は、字感をもつ。同じクニという漢字でも、國の方はりっぱだが、「国」の方は重みがない、とか、新仮名で書いたものは不愉快だ、とかいうのは、その例①である。字感は何から生まれるか②。ちょっと考えると、文字そのものの ③ によってきまるように思われるが、ちがう。それより大きな原因が二つある。

一つは、その文字がどういう ④ のことばを表すのに使われるかという習慣である、「山の字は、いかにも1山」の意味を連想させ、雄大な峰々の連なりを心に描かせて、山好きの人間をわくわくさせるが、もしその形だけから言うなら、「山」の字より「人」の字のほうが「山」の意味を表すのに相応しいし、また、「人」の意味を表す字を考えるなら、「人」の字より「大」の字の方がぴったりくる。

つまり、「山」の字を見て「山」の意味を連想するというのは、子供の時から、この字が「山」の意味に使われているのを何度も見た、その記憶からくる条件反射にほかならない。だから、人によってその連想のしかたはちがうわけで、もし山口県にまず自分の郷里を連想して懐かしく感じ、「山本」という姓をもつ人は、自分に関係の深い文字だと見て深い ⑤ を覚える。

次に、字感は、もう一つその人がその文字をどういう ⑥ で読んだかという記憶から生じる。年配の人が旧字体の「國」の字を威厳があり、好ましいと感じるのは、昔、教科書をはじめ目に触れる活字の本には多く「國」の字が書かれていたためであり、新字体の「国」の字をやすっぼく思うのは、そまつな謄写版印刷や、乱暴に書かれた町かどの掲示などに見られた、その記憶によるものである。「国」という字の形そのものには、「國」という字に比べて ⑦ と判定される理屈は何もない。

その証拠に、教科書で「国」という字の方を習った今の若い世代は、「国」の字に ⑧ を感じ、「國」の字からは、旧式な文体、表現で書かれた、旧式の装丁の読みにくい本を連想する。それはちょうど、今の多くの人が手動式の蓄音機や、シュッシュッポッポと煙をはく汽車に対するイメージ⑨のようなものらしい。金田一春彦「日本語への希望」

問1 「その例①」とあるが、「その」が指示している内容はどれか。

A.一つ一つの単語が特有の語感をもつ

B.一つ一つの文字は字感をもつ

C.同じクニという漢字

D.新仮名で書いたもの

問2 「字感は何から生まれるか②」とは、文章の中でどう言っているか。

A.文字そのものの形と音声および連想

试读结束[说明:试读内容隐藏了图片]

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