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发布时间:2020-07-15 02:42:07

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上海外国语大学日本文化经济学院828日汉互译历年考研真题及详解

上海外国语大学日本文化经济学院828日汉互译历年考研真题及详解试读:

2003年上海外国语大学日汉互译考研真题及详解

一、次の日本語文章を中国語に訳しなさい。(30点)

むし暑い、ある六月の日曜日……。

わたしは、人ごみに埋まった駅前のデパートの屋上で、二人の子どもの守りをしながら、雨あがりの、腫れぼったくむくんだような街を見おろしていた。

ちょうど人が立ち去ったばかりの、通風筒と階段の間の一人用のすきまを見つけ、すばやく割り込んで子どもたちを順に抱きあげてやったりしているうちに、子どもたちはすぐ飽きてしまって、今度は自分が夢中になっていた。しかし、特別なことではなかったと思う。実際、手すりにへばりっいているのは、子どもよりおとなが多い。子どもたちはたいていすぐ飽きてしまって、帰ろうとせがみだすのに、仕事をじゃまされでもしたようにしかりつけて、うっとりとまた手すりの腕にあごをのっけるのはおとなたちなのである。

むろん、少々、後ろめたいたのしみかもしれない。だからといって、ことさら、問題にするほどのことだろうか。わたしはただぼんやりしていただけである。少なくも、あとになって思い出す必要に迫られるようなことは、なにも考えていなかったはずだ。ただ、しめっぽい空気のせいか、わたしは妙にいらだたしく、子どもたちに対して腹をたてていた。

上の子どもが、怒ったような声で、「父ちゃん。」と叫んだ。わたしは思わず、その声から逃れるように、ぐっと上半身を乗り出していた。といっても、ほんの気分上のことで、危険なほどだったとは思えない。ところが、ふわりとからだが宙に浮き、「父ちゃん。」という叫び声を聞きながら、わたしは墜落しはじめた。

落ちるときそうなったのか、そうなって落ちたのかは、はっきりしないが、気がつくとわたしは一本の棒になっていた。太からず、細からず、ちょうど手ごろな、ーメートルほどのまっすぐな棒切れだ。

(安部公房『棒』)【参考译文】

闷热,一个六月的星期日……。

我在人群拥挤的车站前百货公司的屋顶上,一面照顾两个孩子,一面俯视雨后浮肿的街道。看到人刚离去后通风管和楼梯间的空隙,立刻挤过去,依序抱起孩子,孩子很快就看腻,反而自己全神贯注。其实,并没有特别的事。老实说,趴在栏杆上的,大人比孩子多。孩子大都很快就厌腻,吵着说要回去,却像妨害工作似的,受到斥责;茫茫然把手搁在栏杆上支着脸颊的都是大人。

当然,也许会有一些内疚的愉悦,不过,这也不成问题。我只茫茫然而已。至少并不认为有事后回忆的必要。也许因为空气潮湿,我竟然焦躁异常,对孩子发脾气。大孩子以愤怒般的声音叫喊:“爸爸……”我仿佛想逃离这声音似的,不由得探出了上半身。不过,只是心境上如此而已,并不觉得危险。身体轻轻浮在空中,一面听着呼唤“爸爸!”的叫声,一面开始往下堕落。不知是落下时变成这样,还是变成这样之后才落下,总之,发觉时,我已变成一根棒,不粗不细,适于拿在手中,约一米长,很直。

二、次の日本語文章を中国語に訳しなさい。(45点)

ある日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル·デン·リンデンを過ぎ、わがモンビシュウ街の僑居に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。余はかの灯火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取り入れぬ人家、頰髭長きユダヤ教徒の翁が戸前にたたずみたる居酒屋、一つの梯はただちに楼に達し、他の梯は窖住まいの鍛冶が家に通じたる貸家などに向いて、凹字の形に引っこみて立てられたる、この三百年前の遺跡を望むごとに、心の恍惚、となりてしばしたたずみしこと幾度なるを知らず。

いまこのところを過ぎんとするとき、とざしたる寺門の扉に倚りて、声をのみつつ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。かむりし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つきよごれたりとも見えず。わが足音に驚かされてかえりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問いたげに愁いを含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛におおわれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深きわが心の底までは徹したるか。

彼は料らぬ深き歎きにあいて、前後をかえりみるいとまなく、ここに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覚えずそばに倚り、「何故に泣きたもうか。ところに繋累なき外人は、かえりて力を借しやすきこともあらん」といいかけたるが、われながらわが大胆なるにあきれたり。

彼は驚きてわが黄なる面をうち守りしが、わが真率なる心や色にあらわれたりけん。「君はよき人なりと見ゆ。彼のごとく酷くはあらじ。またわが母のごとく」しばし涸れたる涙の泉はまたあふれて愛らしき頰を流れ落つ。「われを救いたまえ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従わねばとて、われを打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなわぬに、家に一銭の貯えだになし」。

あとは欷戯の声のみ。わが眼はこのうつむきたる少女のふるう項にのみ注がれたり。

(森鴎外『舞姫』)【参考译文】

某日黄昏,我漫步兽苑,过菩提树下大街准备回蒙比修的侨居地,来到库洛斯提尔巷的古教堂前。不知有多少次,我的目光经过灯海,进入这狭窄而昏暗的巷子。巷子里有垫被、内衣裤晒在楼上栏杆尚未收进去的人家;长胡子的犹太教老翁伫立门前的小酒馆。望着呈凹字型竖立的这三百年前的遗迹,内心恍惚伫立良久。

我正想经过这地方时,看到一位少女在深锁的教堂门前啜泣,年纪大约十六、七岁。露在头巾外的是金黄色的头发,所穿的淡金黄色衣服也满干净的,听到我的脚步声回过头来的脸,不是诗人的我无法描述。明亮中隐含忧郁的眼睛,在含泪的长长睫毛下,为何只一回眸就深入我心坎呢?

她是遭到意外事件无法解决而站在这里哭泣吗?我懦弱的心被怜悯之情打败,自然地走近她身边问:“为什么哭泣呢?我这无家累的外国人,或许反而帮的上忙也说不定。”我对自己的大胆感到惊讶!

她吃了一惊,盯着我这黄面孔看,或许是我真挚的心形于色,她说:「你看来是好人。不像他那么残酷,也不像我母亲那样。」才稍稍停下的泪泉又再度涌出,沿着可爱的脸颊留下。「救救我吧!不要让我做出可耻的事。母亲说要是再不听他的话就要打我。父亲死了,明天不能不埋葬,可是家里连一点积蓄也没有。」

之后,只是哭泣。我的眼光一直落在少女低着头而颤抖的颈子上。

三、次の中国語文章を日本語に訳しなさい。(30点)

鲍仁文跟着老胡,在县一招住了三天。说是合作,其实就是鲍仁文提供材料,老胡执笔。写完之后,再让鲍仁文看一遍,看有哪些地方失真,不符合事实的,鲍仁文指出后,老胡就改去。弄了两天,鲍仁文只动了嘴,却没有动笔,心里是很不过瘾的。

而这三天与老胡的接触,确使他打破了一些对记者的神秘感。他没料到记者也是和他一样的人,要吃饭,要睡觉,睡觉还打呼,打得如雷贯耳,害得他两宿没睡踏实。而且他晓得了老胡比他要小三四岁,插过队,然后自学成才,进了报社。他有时请鲍仁文喝酒,喝过了就发牢骚。抱怨自己没有文凭,如何地吃不开。房子挤,工资低,奖金制尚在争取之中,等等,等等。鲍仁文只是不明白,从事这么崇高的事业的人,怎么会有这么多俗事的困扰。而有了这许多繁杂俗事的打扰,还怎么能够对人类的灵魂开展工作!

(王安忆《小鲍庄》)【参考译文】

鮑文仁が老胡に付きて、県の第一招待所に三日泊まった。パートナーとは言うものの、鮑文仁が材料を提供して、老胡が執筆するだけだ。書き終わって、一回鮑文仁に目を通させて、どこか事実に合わないかを指摘してもらって、老胡はもう一度訂正する。二日が経って、鮑文仁はただ口を開いたと感じて、自分で書かないと気が進まないと思った。

老胡との三日間の触れ合いで、彼が記者に対する神秘感はやや消えた。記者も彼のような一般人だと思わなかった。同じく食べたりし、寝たりし、また熟眠したらびきさえもかく、しかも雷が落ちるようだ。おかげで、彼は二日よく眠れなかった。そして、老胡は自分より三四歳くらい年下で、知識青年として農村に入って、独学して新聞社に入社したということもわかった。たまたま、鮑文仁を飲みに誘う。飲んたら、彼は愚痴をこぼす。証書がないから、いかに通用しないとか、部屋が狭いし、給料も安くて、ボーナスはまだ何とかしてもらおうと努力中などなど。こんな尊い職業に従事する人はどうしてこれほど多くの世俗的なことに悩まされるのか?こうして悩まされたら、どうやって人間性に関する仕事を展開するのか?鮑文仁はどうしてもわからなかった。

四、次の中国語文章を日本語に訳しなさい。(45点)

我从十二岁起,便在镇口的咸亨酒店里当伙计,掌柜说,样子太傻,怕伺候不了长衫主顾,就在外面做点事罢。外面的短衣主顾,虽然容易说话,但唠唠叨叨缠夹不清的也很不少。他们往往要亲眼看着黄酒从坛子里舀出,看过壶子底里有水没有,又亲看将壶子放在热水里,然后放心;在这严重监督之下,羼水也很为难。所以过了几天,掌柜又说我干不了这事。幸亏荐头的情面大,辞退不得,便改为专管温酒的一种无聊职务了。

我从此便整天的站在柜台里,专管我的职务。虽然没有什么失职,但总觉有些单调,有些无聊。掌柜是一副凶脸孔,主顾也没有好声气,教人活泼不得;只有孔乙己到店,才可以笑几声,所以至今还记得。

(鲁迅《孔乙己》)【参考译文】

わたしは十二の歳から村の入口の咸享酒店の小僧になった。番頭さんの被仰るには、こいつは、見掛けが野呂間だから上客の側へは出せない。店先の仕事をさせよう。店先の袢天著は取付き易いが、わけのわからぬことをくどくど喋舌り、漆濃く絡みつく奴が少くない。彼等は人の手許をじろりと見たがる癖がある。老酒を甕の中から汲み出すのを見て、徳利の底に水が残っていやしないか否かを見て、徳利を熱湯の中に入れるところまで見届けて、そこでようやく安心する。こういう厳しい監視の下には、水を交ぜることなんかとても出来るものではない。だから二三日経つと番頭さんは「こいつは役に立たない」と言ったが、幸いに周旋人の顔が利き、断りかねたものと見え、改めてお燗番のような詰らぬ仕事を受持たされることになった。

わたしはそれから日がな一日櫃台の内側でこの仕事だけを勤めていたので、縮尻を仕出かすことのないだけ、それだけで単調で詰らなかった。番頭さんはいつも仏頂面していなさるし、お客様は一向構ってくれないし、これじゃいくらわたしだって活溌になり得るはずがない。ただ孔乙己が店に来た時だけ初めて笑声を出すことが出来たので、だから今だにこの人を覚えている。

2005年上海外国语大学日汉互译考研真题及详解

一、把下列日语文章译成汉语。(30点)

長い封建社会の因習の中で、人間性は窒息させられており、ことに女性が肉体や性を語ることは恥ずべきこと、罪深いこととして、一切の人間的なものと共に暗の中に閉じこめられていた。晶子の歌は明治の女たちの抑えがたい人間的叫び迁瑞々しい表現を与えたのである。

もちろん、島崎藤村や薄田泣菫の新体詩にも、すでに女体の美しさが素材として用いられていたが、多くは象徴的、修辞的な色どりとして用いられたにすぎない。晶子の場合は、主体としての女の感情や心情を、瑞々しい肉体讃美と不可分なものとして官能の喜びにまで歌いあげ、近代短歌史に不滅の金字塔をうちたのである。

晶子は鉄幹によって育てられた。鉄幹は明治二八年、評論「亡国の音」に「廃娼論を為すものあり、禁酒論を為すものあり、而して一人のいまだ現代和歌排斥論を唱ふる者なきは如何」と述べ、旧態依然たる当時の和歌がどんなに「品質卑俗」で「国を危ふく」しているかを指摘し、和歌の革新を主張した。歌論としては内容に乏しく、国家主義的な大言壮語にすぎなかったが、上流階級の子女達の慰みものに堕していた和歌を一新し、日淸戦争前後の「富国強兵、国威伸張」という高揚した新興ブルジョアジーの浪漫主義を、和歌の世界に持ちこみ、新派和歌運動の烽火となりえた。【参考译文】

在漫长的封建社会旧习中,人性受到压抑。尤其是女性谈论肉体和性,更是作为羞耻与罪孽深重之事,与一切人性幽闭在黑暗之中。晶子的诗歌对明治女性难以抑制的人性呼唤进行了鲜活的描写。

当然,在岛崎藤村和薄田泣堇的新体诗中,女体之美已经作为素材被采用,但那大多数不过是作为象征性的,修辞性的点缀被运用。而晶子却把女性主体的感情和心境和鲜活的肉体赞美密不可分的结合,并歌颂感官上的喜悦,冲击了近代短歌史不灭的金字塔。

晶子是受到铁干的培养成长起来的。铁干于明治二十八年,在其评论《亡国之音》中写到“有人提出废娼论,有人提出禁酒论,为何到现在都没听到有人提出抵制现代和歌论”他指出当下陈规旧矩的和歌是怎样以其“品质低俗”来“危害国家”,并提倡和歌的革新。虽然其歌论缺乏内容,仅限于谈论国家主义式的豪言壮语,但却使沦为上流社会男男女女排遣休闲的和歌焕然一新,把日清战争前后的“富国强兵,伸张国威”这一高昂的资产阶级浪漫主义带入和歌的世界,成为了新派和歌运动的烽火。

二、把下列日语会话文章(括号内不用译)译成汉语。(45点)

二十分も遅れて、康子はホテルの玄関をはいって来た。白いブラウスを着て、唐草模様のマフラで頭を包み、自分の家へ帰って来た時のような気楽さで、ハンドバッグをぶらぶらさせていた。賢一郎が立って迎えると、「こんにちは。お待たせしたかしら」と言った。それからロビイの奥を指さして、「お茶でも飲みましょう」と

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